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どん底からの大復活。
だから人生は面白い。

碇谷 弘幸
退職してください。

人間、想像を超えることに直面すると、本当に記憶が飛ぶんですよね。私も前職のジュエリーの卸売会社で、初めて経験しました。ある日のこと、社内でも上位の販売実績を残していた私が呼ばれたのが社長室。応接ソファに座るなり、テーブルの上に置かれた一枚の書類。退職届の文字がすぐに目に飛び込んできました。「申し訳ない。会社の業績が…」、「退職金は…」と、申し訳なさそうな顔をした社長の話は右から左へ。まさかのクビ宣告に、明日から妻と2人の子供がいる生活をどう守っていけばいいのかと、頭の中は真っ白だった記憶があるだけ。日付だけは鮮明に覚えています。2017年の7月20日。39歳での出来事です。
翌日から転職活動を開始。12年も続けた営業経験を見込まれ、ぜひという話もありましたが給料が安すぎる。結局、10社以上も落ち続け、精神的にも限界に近づいていました。

軽バンの購入は腹をくくった証

転職先が決まるまでの間、生活費の足しに始めたのが、大手食品メーカーの物流倉庫での倉庫内作業です。生来の人当たりの良さや真面目さが功を奏し、すぐにバイトリーダーに昇格。物流倉庫の管理会社からは「正社員に」と声もかかりました。でもそれ以上に興味を持ったのが、仲のいい物流ドライバーたちとの何気ない会話。「ネット通販系の宅配ドライバーって、月に100万円も稼ぐらしいよ」。「えっ100万円?本当なの」。「60~70万円を稼ぐ人なんてザラらしいよ」。その夜さっそく、大手求人サイトの検索画面で「柏市」と「軽貨物ドライバー」とキーワードを入力。これが「K-WING」との運命的な出会いの始まりでした。
応募から面接、内定ととんとん拍子で進み、軽貨物ドライバーとしての第一歩は、自分の車で出勤。内定が出た後、家族とドライブにも行った愛車のミニバンを売却。新しく軽バンを購入した時に「この車で死ぬほど稼いでやる」と腹をくくったことを、今も覚えています。

この人についていきたい

面接で高木社長に会って直感しました。実は稼げることに加えて、「設立したばかりのこの会社をもっと大きくし、社員の夢が実現できる会社にしていきたい」。そう話す社長の想いに共感したのも入社を決めた要因の一つ。入社時は創業メンバーを含めても社員が7人だけだったので、近い将来は社長の下で会社の経営に関わっていけるかもと、夢も見ました。そのチャンスは翌年到来。「課長として委託ドライバーの採用やサポート業務やってもらえないか」と社長から。人生一番のどん底の時に採用してくれた社長の相談を断る理由もなく、すぐに了承。3年目の今は部長として、新規顧客の開拓窓口業務も兼務し、会社の売上を伸ばしていく重責をも担っています。40歳での転職だったにもかかわらず、こんな恵まれたポジションで頑張れる今があるのはすべて、K-WINGという会社、そして高木社長との出会いがあればこその話。この恩はこれからの仕事で必ずお返ししたいと思っています。

海が見える家で、妻とのんびりと

売れない役者時代から妻には支えてもらってばかり。クビになった時も、黙ってパート先を増やして2つの職場を掛け持ち。感謝しかありません。だから今は収入を増やして、妻を専業主婦にする。これが私のささやかな目標です。お金が貯まったら、海が見える場所に家を購入。妻と2人で海を見ながら、のんびりと暮らしたいですね。